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  • October 21, 2025 [ Column ]
    アイドルオタクの話… 故人の部屋には必要最低限の家具しかなかったが押し入れには大量のチェキ
    輝きに魅せられた女と男だったんだろうな、俺にはエモいとしか感じない、どんな捉え方ができるのか

    1.感動的・美しい人生としての見方
    “生きがいを全うした人”という見方
    彼にとって「推し」は生きる意味であり、会社での地位や物質的豊かさよりも大切なものだった。
    社会的には異質でも、本人にとっては心が充たされた人生。
    最後に「推し本人」が駆けつけて涙するという展開は、まるで人生の完結を祝福するようで、美しい余韻を残します。
    「孤独ではなかった」という救い
    家族から理解されずとも、彼の想いは確かに誰かに届いていた。
    愛の形が一般的でなくても、誰かを真剣に想うことができた人生は尊い。

    2.理性的・現実的な見方
    「もっと豊かに生きられたのでは?」という視点
    仕事で安定した収入があったにもかかわらず、1Kの部屋と最低限の生活。
    趣味以外の世界を閉ざしていたことは「もったいない」とも言えます。
    推しとのつながり以外にも、誰かと時間を共有したり、将来への投資をしたりできた可能性があった。
    「生きがい」が一点に偏りすぎると、他の幸福の芽を摘んでしまう危うさもある。
    “依存”の一歩手前だったかもしれない
    アイドル活動や消費行動が「癒し」ではなく「支えそのもの」になっていた。
    その支えが失われたら、生きる意義を失うような脆さを抱えていた可能性も。

    3.社会的・文化的な見方
    「推し活文化」の光と影
    現代では“推し”は自己実現の手段にもなっている。
    彼のように全身全霊で応援する人がいるからこそ、アイドルも輝ける。
    一方で、社会的には「浪費」「逃避」と見なされやすく、理解されにくい。
    この葬儀での「推しの参列」は、そのギャップを埋める象徴的な出来事でもある。
    家族との断絶
    遺族が「失笑」する場面に、世代や価値観の溝が表れています。
    「心の豊かさ」を共有できなかった悲しさでもあります。
    誰かがその“橋渡し”をした(=あなたが遺影とチェキを選んだ)のが、この話の中で最も人間的な救いです。

    4.哲学的・存在論的な見方
    幸福とは、他人から見て合理的である必要はあるのか?
    社会的成功や家庭を持つことが「正しい人生」とされる一方で、
    彼は“自分の意味”を確かに持っていた。
    「豊かさ」とは選択の自由でもあり、彼はその自由を行使していたとも言えます。
    “記憶として残る幸福”のあり方
    彼の行為は消費的でもあったが、最終的には“誰かの心に刻まれた”。
    それが人生の目的であるならば、十分に成功したともいえる。


    Posted by funa : 09:21 PM
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